チャレンジわかまつ1年生。[01.若松に移住すると決めた理由。]

2017年の5月に神奈川から福岡県北九州市若松区へ移住。
そして、”shirokuma design hut.”を開業してからの1年間、「一般社団法人ワカマツグラシ+Partners.」の業務委託として、若松の街の中に作ったコンテンツや企画、やってきたことをコラム記事として連載していきます。

 

今回の記事は、”若松に移住すると決めた理由” 編です。
さて、この記事は以下の内容で書き進めていきたいと思います。

 

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-もくじ-
1. コトの発端
2. 理由1 学生時代の取り組み1 [ 気仙沼大島 ]
3. 理由2 学生時代の取り組み2 [ 熱海 ]
4. 理由3 前職の勤務先 [ 内装の設計施工会社 ]
5. 理由4 若松という街の魅力
6. 最終的な判断
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【 1. コトの発端 】

 僕が北九州市若松区という地域を知ったのは、移住を決めることになる直前のことです。
神奈川県の川崎市で生まれ育った僕は、”北九州”と呼ばれる場所がどこなのか知りませんでした。
初めて”北九州”という地域の名前を聞いたのは、大学4年生の時。
研究室でのいくつかあったプロジェクトの中の1つに、北九州市小倉北区魚町の商店街での活動があったからです。

 

そんな僕が、”若松”に移住するきっかけとなった人が数人います。
まずは、前職で勤務していた会社の同期の女の子。
彼女は、入社半年ほどで身体を壊し、いち早く転職していました。
そして、この元同期の女の子が次に入った会社の、社長夫婦との出会いが僕が若松という場所を知り、移住することになったきっかけです。

 

突然、元同期から
「学生の時、新聞作ってたよね?」と連絡が来て、
「作ってたよ、熱海でも瓦版nagisAっての出してるよ。」と返信したところから始まりました。

 

よくよく、話を聞いてみると、
社長夫婦が東京から移住して若松というところで、まちづくりのようなことをやるから次のような人を探してると。

・まちづくりのような活動に興味がある。またはしていた。
・新聞のような媒体の編集をしたことがある。

・図面を引くことができる。

という上記3点に共通している知り合いが僕だったと。
そう、この連絡こそが僕が若松に移住することになったきっかけです。
(後に判明するのですが、この時の情報が少し違うものだったことは、結果オーライ。)

 

 

 

【 2. 理由1 学生時代の取り組み (気仙沼大島) 】

 ここからは移住をすると決めた理由を順番に書いていきたいと思います。
まず1つ目の理由は、大学3年生から大学院2年目に台湾留学に行くまでの間、3年半ほぼ毎月通い続けた”気仙沼大島”での活動です。

 

 みなさんご存知の通り気仙沼という地域は、東日本大震災で津波などの自然災害を受けた地域の1つです。
当時、研究室に入る直前で授業をサボり気味だった建築学生の僕は、偶然なのか必然なのか、この気仙沼という地域に関わることになりました。

 

失われた街 模型復元プロジェクトという全国の建築学生の有志で、東日本大震災の被害にあった地域の”災害前”の姿を1/500というスケールで、1m×1mサイズの復元模型を作る活動に半強制的に参加していたこと。
そして、僕の所属していた神奈川大学曽我部研究室の担当エリアが”気仙沼大島”だったことから、模型製作、東京都現代美術館での展示、実際に現地に運び地域の方々と模型に色付けをしながら当時の様子をヒアリングする「記憶の街ワークショップ」を経て、しだいに”気仙沼大島”という地域と地方での活動への興味を持ち始めていきました。

 学生有志の中で大学の枠を超え、勝手にヒアリングや調査を進め、作った「Island study」と、その調査中に出会った関西の大学教授の活動の合同報告会をきっかけに、4大学連携の「大島みらいチーム」という行政と島の方々を繋ぐハブのようなチームが結成されました。

 

△ ヒアリングや調査で集めた情報を可視化した「Island study」

 

月1で”気仙沼大島”を訪ね、住民の方々と意見交換や情報交換、意見集約を行う「大島のみらいを考える会」、そこでの意見や情報をまとめフィードバックを島内全戸に配布する大島みらい新聞、地域の中学生と島の魅力を発信する方法を考え、発表する場づくりや地域の大人たちをビーチでのアクティビティを作ったイベント「Eco&Art」、地域住民の声を行政に届けるために島民の意見を集約した「輝け! 海と緑の大島宣言」、復興後の気仙沼大島の顔となる道の駅を大手企業と共に提案したプロポーザルコンペ「welcome terminal (仮)」などの活動を経験して、将来必ず地方で自分の能力を活かす仕事をしたいと考えていたことが1つ目の理由です。

 

 

 

【 3. 理由2 学生時代の取り組み2 [ 熱海 ] 】

 2つ目の理由は、大学院1年時に研究室の先生から「こういうの興味あるだろ? 行ってこい!」とよくわからずに参加した「第1回 リノベションスクール@熱海」

 

この時、僕の参加したグループの提案は、nagisArtというアトリエ付きのシェアハウス。

△ 「nagisArt」のある路地

 

その後、熱海で個展をさせていただいたり、大学院の修士論文を”nagisArt”とその路地で”愛着”をテーマに提案させていただいた。
その論文の過程で、”nagisArt”という場所と活動を地域の人に知ってもらうために、回覧板で回す瓦版nagisAをオーナーさんや地域の作家さんと一緒に発行し、知ってもらうことで興味を持ってくれる方々が増え、その後拡大していくことの面白さを知ったことが2つ目の理由です。

 

△ 「瓦版nagisA 創刊号」

 

 

【4. 理由3 前職の勤務先 [ 内装の設計施工会社 ]】

 3つ目の理由は、前職の勤務先での経験です。
大学院を出てすぐの右も左もわからない状態の僕に時には厳しく、時には優しく色々教えてくれた内装設計施工会社の会長や社長、専務、先輩方、そして取引先の方々、施設の内装管理室の方々。

 

社会に出て1年目にたくさんの方々に迷惑をかけたり、相談したり、説教されたりしながら、内装の仕事をデザインから完工、引き渡しまで一通りかける3セット経験させていただきました。

そして、最終的にたった1年で辞職し、北九州へ行くという僕の背中を「お前のやりたいことなんだからその方が良い。頑張れ。」と押してもらえたことが3つ目の理由です。

 

 

【 5. 理由4 若松という街の魅力 】

 とても長くなりましたが、ここまでが、移住を決めた個人的な要因です。
“若松”という街。とても魅力のある街なんですよ。

 

かつて、炭鉱の町として栄えた”北九州市若松”。
当時の象徴である真っ赤な橋、“若戸大橋”、当時の面影のある“南海岸”、戦前の建物がたくさん残る“中川町”、地図で見ると明らかに違和感のある“宮丸町の元どこかの会社の社宅群”、日本の原風景のような景色が残っている“草牟田”、埋め立て地で工場や発電設備が整う“エコタウン”、そして、北海岸の“綺麗な海”
観光資源やコンテンツになりうる場所や物があちらこちらに転がっている街だと感じて、ワクワクしたことが最後の理由です。

 

そして、初めて訪ねた“北九州市若松”で、その時初めて会った現在の一般社団法人ワカマツグラシ+Partners.の理事の1人、“藤田 毅”さん。
2時間ほど一緒に若松の街を歩き、しばらく話をした後、一言。

 

「どう? 来る?」

 

たしか、そんな一言。
そして、僕の返答は、

 

「来ます!」

 

そうです。
話すと驚かれるのですが、たった2時間若松の街を歩いて、話しただけで、即答して移住を決めました。

 

 

【 6. 最終的な判断 】

個人的な要因と、”北九州市若松”の街自体の魅力
そして、一般社団法人ワカマツグラシ+Partners.の理事メンバー。
そして、今後このコラムに登場してくる当時大学生の男の子率いる学生チームの存在
そして、何より、僕の生まれ育った街、神奈川県川崎市と似た雰囲気の街と人々。
留学経験から、知らない土地で暮らすことの抵抗がないなど、様々な要因が重なったことで、北九州市若松で「チャレンジしよう!」と決断して今もここにいます。